Shirokuma ha Hidarikiki

日常の独り言

【ネタバレあり】映画 東京クルドを観てきました

 

どうもです。

 

ドキュメンタリー映画、東京クルドを観てきた。

多様性について考える機会があり、その時に紹介してもらった映画。ちょうどテレビではウィシュマさんの事件もやっていて、自分が知らない現実があると強く感じた。そして私は映画を観に足を運ぶことを決めた。

 

なかなか重い映画だったし、ここに思ったことを書いていいものなのか、書きながらも悩んだ。けれど、私たちは忘れてしまう。自分たちの生活に戻れば。深刻な問題に直面して、心を痛めても。だから知ったことをちゃんと残しておこうと思った。

 

ここには主観的な感想も書いてあるし、個人的な学習として書いてあることもあります。

不十分なところばかりだと思うので、あらかじめご了承くださいm(_ _)m

 

 

【あらすじ】

紛争から逃れて日本にやってきた2人の青年。命かながら日本にやってきた彼らを待ち受けていたのは ー差別的な入管法、ほぼ取得不可能な難民認定 ー希望ではなく、絶望の世界だった。そんな世界に生きる彼らを追ったドキュメンタリー。

 

クルド人とは】

映画は2人の青年 ラマザンとオザンがボウリングをしているシーンから始まる。一見すれば私たちと何も変わらない学生であり、2人が抱えている事情なんて想像もできない。

 

場面は変わり、2015年、トルコ大使館での大国民議会総選挙の在外投票時に起きた乱闘の様子が映し出された。

その後、乱闘についてクルド人側が記者会見を開いている場面になる。そこには必死に抗議をするラマザンの姿もあった。私はこの映像を見て、まずトルコのことやクルド人について知らなければならない、そう思った。なぜ彼らが難民として逃げてきたのか、それを理解しないと始まらない。

 

クルド人と呼ばれているってことはクルド国があるってこと?

答えはNoだ。

クルド人は国を持たない最大の少数民族。シリア、イラン、イラク、トルコの山岳地帯などに2500〜3000万人が生活している。

 

ーなぜ彼らは国を持たないのか?ー

それは遡ること第一次世界大戦後。

戦争に勝った連合国側(イギリス、フランス、ロシアなど)と負けたオスマントルコ帝国(トルコ)との間でセーブル条約が結ばれ、クルド人の独立が認められた。

しかしその後、オスマントルコ帝国が崩壊し、トルコ共和国の建国時に、この条約が破棄されてしまった。さらに、連合国はオスマントルコ帝国を分割する際、民族の分布に配慮しない形で国境を定めたため、クルド人民族はバラバラになってしまった。

 

*セーブル条約

第一次大戦後の1920年8月10日、パリ郊外で連合国とトルコとの間で結ばれた、両国の合意のもと戦争状態を終了させたもの。

 

 

クルド人問題】

分裂した後、トルコではクルド語の教育禁止や民族衣装禁止など、クルド人に対して厳しい弾圧を行った。その他の国でも、マイノリティである彼らは、酷い差別や弾圧を受けていた。今なお、厳しい弾圧の名残りは残っていて、クルド国として独立を目指し、トルコ政府と対立している。

 

〈ここまでのまとめ〉

クルド人とは国を持たない最大の少数民族

・歴史的背景により各国から厳しい弾圧を受けている。

・主人公のラマザンとオザン、そして彼らの家族は厳しい弾圧の中で身の危険を感じ、日本に逃れてきた。

 

 

【難民問題】

彼らは小学校の頃から日本にいる。だから日本語もペラペラ。

トルコ語クルド語も話せるから、バイリンガルを超えたトライリンガルだ。 

 

青年の1人ラマザンは自分の特性を活かして、通訳になりたいと願っている。しかし現状、難民申請が認められていないので、彼らの立場は非正規滞在者、つまり”オーバーステイ”。だから、今のままでは、就職することはできないし、進学するにも受け入れてもらえない場合が多い。

ラマザンもやっとの思いで進学できたものの、本来、希望していた語学学校には入学できなかった。さらに言えば、これから先、無事に卒業できたとしても、ビザを発行してもらわなければ働くことはできない。

 

オザンもまた悩んでいる。

ただ居ること、しかできない状況に絶望を感じていた。

「やりたいことがない。」

彼はそう言った。

『やりたいことはある。でも出来ない。』

私にはそう言いたいように思えた。

それでも希望を持って、やりたい仕事先へ取り合ってみるが、就労資格がないことを理由に断られてしまった。

 

不法労働者を受け入れる場所で彼は働く。身の危険を承知で。

「自分はノミ以下。生きている価値がない。」

こんな言葉を10代の若者に言わせてしまう社会って。

 

そこには日本の難民受け入れ体制の大きな問題が絡んでいた。

 

ー難民とはー

政治的な迫害のほか、武装紛争や人権侵害などを逃れるために国境を超えて他国に保護を求めた人々のこと。

 

日本にも毎年たくさんの人が命かながら逃げてきて、難民申請をしている。しかし、実際に難民認定をされる人数は毎年1%にも満たない。コロナ以前の2017年の例を見てみると、難民申請数は19628人に対し、難民認定数は20人。認定率は0.1%だった。この年が特別な訳ではない。2020年の難民申請数は3936人に対し、難民認定数は47人。認定は0.5%と変わらず低い状態だ。この数値は世界でも最低レベルに位置する。

 

ーなぜこれほど低い数値なのか?ー

これには2つの理由があると考えられている。

 

1, 難民に対する定義が狭い

日本での難民の定義は「自国にいると迫害を受ける恐れがあるために他国へ逃れる人々」とされている。しかし、この条約は政治亡命者を念頭に置いているため、現在の内戦や紛争を理由に逃れてくる人々は当てはまらない点がある、と言うわけだ。このような人たちは、迫害される可能性があることを証明しなければならない。しかし、彼らは逃げるために最小の荷物しか持っていないため、当然そんな証明書のようなものは持っていない。(逃げている事実こそ証明そのもののようだが。)そのため、難民申請を却下されてしまうことが多いと言われている。

 

2,就労目的者による難民認定を防止するため審査が厳しい。

2010年に全ての難民申請者に対して就労が許可された。その結果、本当に避難生活を余儀無くされ支援を必要としている難民ではなく、出稼ぎ目的として難民認定を受けようとする人が急増した。このことから、2018年に就労許可制度を廃止した。つまり日本は偽装難民の在留を防止するために難民制度を厳格化しているとわかる。

しかし、生活をしていく上で必要なお金を就労して得ることは重要なことだ。それを全ての人に閉ざしてしまうのはあまりに酷なことではないのか。

 

〈ここまでのまとめ〉

・日本の難民認定率は世界でも最低ランク。

・日本の難民受け入れが少ない理由は以下2つが挙げられる。

⚫︎難民の定義が狭い

⚫︎就労目的者による難民認定を防止するため審査が厳しい 

 

 

【差別的な入管法

劇中、ラマザンとオザンが何度も入管へ行くシーンが出てくる。

オーバーステイだが仮放免許可書が与えられているので、それを更新するために、1〜3ヶ月に1回 “出頭” しなければならない。

ラマザンとオザンが入管の職員と話している会話が出てくる。

彼らが職員に、この国でどう生きていけばいいのか、と問いかけた時、

「嫌なら出て行って。他の国に行ってよ。」

入管職員は鼻で笑うような声でそう言った。

それができるなら彼らだって、すでにそうしている。あまりにも冷酷だ。

 

さらに、会話の中によく「入管に収容される」というワードが出てくる。 

「〇ヶ月間収容されていたんだ。」

「おじさんが収容されていていつ出てこられるかわからない。」

「君、いつ収容されてもおかしくないから。覚悟しておいてね。」

「保護」などの言葉ではなく「収容」という恐ろしい言葉が使われていることに背筋が凍る。オーバーステイ不法就労を理由に収容されているというが、日本での生活費も保証せず、「日本にただ居ろ」というのは無茶である。

 

また、収容の現実は目を逸らしたくなるほど非人道的で、彼らを見殺しにしようとしているのではないかと疑うほどだった。

ラマザンの叔父メメットさんが入管に収容されている途中、体調不良を訴え、家族が救急車を呼んだ。しかし、入管職員によって追い返されてしまったのだ。この出来事はニュースにもなった。メメットさんがいくら体調不良を訴えても、入管職員はまともに取り合ってくれない。メメットさんが病院に搬送されたのは、30時間後のことだった。彼はひどい脱水症状にあり、危険な状態だったという。その後も、体調不良はなかなか良くならず、家族が面会に行った時には、相当衰弱していたそうだ。さらに、彼がこんな状況でもいつ入管から出て来られるかは分からなかった。

 

このシーンは、名古屋の入管施設で亡くなられたウィシュマさんの事件とリンクした。

メメットさんも搬送されるのがあと何秒か遅ければ、命が危なかっただろう。

ウィシュマさんの事件が例外的な出来事ではないことが明らかだった。

ウィシュマさんの事件後、入管の体制に疑問がぶつけられている。このような事件が2度と起きぬよう、私たちは入管という場所を厳しい目で見ていかなければならない。

 

ラストシーンは、メメットさんが入管から出所する様子で終わる。その時、メメットさんの息子さんは泣きじゃくって、メメットさんに抱きついて離れようとしなかった。私はそのシーンが頭から離れない。彼がどんなに辛かったか。亡命した国で、ある日突然、自分の父親が国に訳も分からず捕まった。いつ会えるかもわからない。そんな状況が自分に訪れたら耐えられるだろうか。そして、そんな辛い思いをした彼もまた、今の状況では、大人になったら“収容”されてしまう可能性がある。オザンやラマザンのように悩み、苦しむことになる。 

 

難民や入管の制度は、計り知れない差別の上に成り立っている。多様性が謳われている今、変わらなければいけないのではないだろうか。

メメットさんの息子さんが大人になる頃、この映画で語られている出来事が遠い昔のことの様になっていることを願うばかりだ。

 

【最後に…】

こうした大きくて難しい問題に直面しても、どこか他人事になってしまいがちだ。

しかし、今回がたまたま「難民」や「入管法」というのがテーマだっただけで、私たちの身近なところでこうした差別はたくさん蔓延っている。

この映画で語られていることは決して自分たちに無関係なんかではない。

すぐに大きなことはできないかもしれないけど、知ることに大きな意味がある。

そして、何ができるか考える旅は続く…。

 

【参考URL】

tokyokurds.jp

mainichi.jp

gooddo.jp